exlovers

パンドラの匣

無趣味で何が悪い

多趣味な友人が多い。それを生業としている人も少なく無い。逆かもしれない。

私には今までこれといった趣味がなく、何となく応えられる程度にしか楽しめない。


自分自身が継続的に目的を与えられたらいいのに。勝手に終わりを作りたがり、区切りや達成感を得ようとする。

どちらかといえば目に見えるものが得意だ。ゲームやテストは分かりやすい。ただ、自身の中で完結してしまったらそれさえも終わりだ。的を絞ろうとさえしない事もある。


意欲の問題。



感覚的に物事をこなす。少しずつ知識が必要になる。如何に自分の中に取り込んで結びつけるところから、なのにその境地に立つことさえできない方が圧倒的に多い。


料理をする、ネイルをする

それを生業とする人達を見る度に趣味と呼んではいけない気がして、いつも逃げたくなる。結局、映画鑑賞とか散歩とか言ってしまう。別に詳しくないのに。散歩に関してはもう「それって趣味に入る〜?」狙いで趣味の話題を逸らしていく。


スポーツ観戦も競馬も縁がないと思っていたけど、行ってみたら楽しかった。

楽しむ事は得意だから、難しく考えなくていい無いのかもしれない。

受動的なものも趣味と呼んでいいんだろうか。発信していくだけが全てでは無いのか、そこまではわからない。


最近ネイルを褒められるようになった。

出来ない日もあるけど、なるべく塗り続けたい。スプラトゥーンは塗りつぶしたい。

(塗るのがすきかもしれない。。)


全然解決してないからオチも無いけど終わり。

ラーメンが食べたい


小さい頃からカップラーメンの匂いが嫌いだった。麺も美味しくない。得体の知れない具が入っている。匂いから受け付けなかった。


ラーメン屋も苦手だ。

たくさんの具が乗ったラーメン。

熱々のラーメン。

悪戦苦闘してようやくたどり着いた麺はすっかり冷めて伸びきっている。いつも食べ切れない。

しかも店員さんとの距離も、お客さんの殺伐とした空気も怖い。何処と無く殺気を感じる。カウンターしかない、寄っかかれない。荷物置き場狭い。

更に、日本人特有の「残してはいけない」とか「勿体無い」に襲われてしまう。しかも頼んだからには飲み切れと圧を感じる。自意識過剰な部分はあるが、スープまで飲んで(できれば飲み干して)完食だと思っているから苦手。


こんなにラーメンの食べ方が下手くそな人、いるんだろうか。


自らラーメン屋に行く事はないが、連れられて行く事はある。時々食べたくなる油そば(まぜそば)のように伸びる心配のないものや、餃子を食べる。正しく美味しい。


最近、身体の調子が芳しくない為、あまり食欲が無い。随分と少食になってしまった。



身体が拒絶しているにも関わらず、身にならないものを摂取し続けなければいけない。どちらが先に滅びるのは分からないけど、このままではいかん、としか思える限りは滅びない。(と信じている)


いっぱいあるから嫌だ

と、ある人が言っていた気持ちが23歳にしてようやく理解した。質の問題なり、気持ちの問題なり。

好きなように食べるのが心地いいし、自分で必要な量を理解することは本当に大切だ。


うちの店みたいに、半ラーメンとか増えればいいな。ちょっと安くて、少なくて、美味しい。

明日店長にチョコ渡すついでにラーメン頼もうかな。とんこつ味噌ラーメンが最高に美味しい。スープも飲みきってしまう。


とにかく美味しいラーメンが食べたい。


うみべの出来事


懐かしい曲、思い出補正たっぷりの。

眩しくて今より痛々しいその頃への思いを馳せながら眠る。そんな日々。


30歳の綺麗めなお姉さんはアップデートしているらしい。それぞれの出来事を。



結局仲良くなれなかった人を初めて見かけたとあるライブで、うみべの出来事をやっていたかは覚えていない。

ただ、曲を聴けば通りすぎる影だけはいつでも思い出せる。


自分のいない世界は、どれだけ広いんだろう。彼の世界に私は含まれていない、彼の要素が含まれていない私も。


あまりにも思い出したくない事は、忘れるようにできているらしい。でも、事実は容赦ない。そうして時々連れていかれそうになるのを、人に頼って(迷惑をかけて)この地に留まっている。


2月の孤独が溶ければ、と20歳?21歳の頃に言っていたけど、未だに救われていない。


今日も流氷の底で待っていた。